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高齢者ドライバーによる人身事故、カリタス学園や京都アニメーション事件等に見られる無差別殺人、煽り運転の挙げ句の殺人や暴力、シルバーモンスターによるコンビニや飲食店でのカスハラ。

理不尽なことが多すぎます。一体、日本はどうしちゃったのでしょうか?

そこで?お盆より一足早く夏休みを頂き、第二次大戦でも中立を守った平和の国ポルトガルへ行って来ました。と言うのはこじつけで、

実は、家のご近所に十年来ポルトガルにお住まいだった方がいらっしゃいまして、兼ねてよりお話しを伺い興味を抱いた訳です。

今回はツアーに乗っかり楽ちん旅行にしました。細かく計画を練っている時間が無かったのも理由の一つです。

ツアーは5組10人の何と同世代熟年夫婦ばかりの参加となりました。後で分かったことですが、10人の内半数が同業者でした!

皆さん異口同音に「なぜポルトガルを選んだの?」と、あまのじゃくは自分だけではなかったのかと不思議がっていました。

人口約1,000万人、国土は日本の4分の1。大西洋に面した小さな国です。国民の多くがカトリック教徒であるとのこと。ユーロ圏です。

茹だるような暑さの東京を出て、フランクフルト経由で、まずポルトガル第2の都市・ポルトへ。最高気温25度と快適な気温でした。夜中に到着。まずはおやすみなさーい。

観光初日は、国境を越えてスペインのサンチャゴへ。ここはキリスト教3大聖地の一つと言われており、キリストの12使徒の一人ヤコブを祀るサンチャゴ・デ・コンポステーラという聖堂があり、この近くの港にヤコブさんのご遺体を乗せた舟が流れ着いたというわけで建てられものだそうです。多くの巡礼者の方々でごった返していました。自転車や徒歩でフランスやスペインからここを目指して信者の方々が集まって来ます。

所々で着いた!と歓声が上がったり、感激で涙ぐむ老人も居たりとキリスト教への信仰の深さが伺えました。この大聖堂、着工が1060年で完成1211年と実に150年を要して出来上がりました。もちろん世界遺産です。

祭壇のヤコブ像に後ろから抱きつくことが出来るのですが、1時間半待ちの長い列が出来ていました。待てない我々は遠慮しました。

片道3時間半のバスでの移動中、ポルトガルの景色を楽しみました。オレンジ色の瓦屋根に白壁、ほぼすべての家が取り入れている設えで統一感があります。緑の木々・草原によく映えていました。

途中、スペインとの国境であるニョロ川を通過。同じユーロ圏なので国境審査はありません。

食事は大西洋に面したお国柄から魚介類が中心で日本人の味覚によく馴染みます。ビールの味もアメリカの物よりよいと思います。そして有名なポルトワインですが、発酵途中のワインにブランデーを入れて発酵を止めて熟成させたもので、ちょっと紹興酒と似ているかな。大変美味しくいただきました。

さて、翌日はどしゃ降りの雨。ポルト市街地を観光しました。ドウロ川の河口にあり、坂と教会の街でここからワインを出荷していました。

ジブリの「魔女の宅急便」の舞台になったところと言えば、分かりやすいですね。旧市街地は世界遺産です。

まず、サン・ベント駅へ。駅構内には2万枚のアズレージョでポルトガルの歴史が描かれています。

アズレージョとはタイルによる壁画のことで、ポルトガル内の修道院、教会、王宮、大学の構内等いたる所で見られます。

タイルも焼き物ですから、色付けの技法など時代とともに変化していくようで、その変化を追いかけるだけでも面白いかもしれませんね。

ところで、ポルトはポルトガルの大航海時代の英雄、エンリケ航海王子の生家の在るところと言われていますが?

エンリケ王子は国王ジョアン一世の4男坊で母はイギリス王家から来たお姫様です。

どうしてポルトの港町で生まれたのでしょうか?? 明快な答えは得られませんでした。

生まれた時はさておいて、亡くなられた後はバターリャ修道院というところに安置されているということで、翌日向かいました。もちろん世界遺産です。

ご両親のジョアン一世夫妻や兄上とともにエンリケ王子の石棺もありました。このバターリャ修道院を作ったのはジョアン一世の息子・ドゥアルテ一世。その後マヌエル一世が引き継いだと言われていますが、建造が完成する前に建築家がリスボンのジェロニモス修道院に掛かっていなくなってしまい、未完の霊廟となってしまいました。しかし、マヌエル建築様式というポルトガル特有の様式で先が尖った窓にステンドグラスが施されるようになり、柱や欄干の装飾が華やかです。

また、その前にコインブラというヨーロッパでも一番古いと言われる大学を訪れました。創設は1290年と言います。また1724年に作られたジョアニ図書館では蔵書が30万冊と言われ、古い書物に巣くう虫を退治するために何とコウモリを飼っているとのこと。見学中に鳴き声を聞きました。この図書館、ディズニーの「美女と野獣」のダンスのワンシーンのモデルになったと言われています。

折しも日本とポルトガルの文化交流展の展示があり、日本からポルトガルへ伝えられた初めての日本語6文字という展示がありました。「人、月、蜜、、、」後が思い出せません。というのも、蜜という字の下に月という字が小さく書かれていて「蜜月」という熟語が目に入ってしまい、少なからぬショックを受けてしまったからです。ポルトガル人が日本に始めてやって来たのが1541年、大分県豊後水道にたどり着いた時だそうで、その後種子島に鉄砲を伝えたり、キリスト教の布教をするにあたっては地元の有力者とそれこそ「蜜月」の関係にならざるを得なかったことが伺われます。いつの時代も変わらないのですね。

そしていよいよリスボンに入りました。何と言ってもポルトガル黄金期を象徴するジェロニモス修道院でしょう!エンリケ王子とバスコダガマの偉業を称え、航海の安全を祈願するためマヌエル一世が、コショウの取引でもたらされた富をつぎ込んで建立したとのこと。もちろん世界遺産です。とにかくデカい!豪華!バスコダガマの石棺に向かってアーメン。

海岸に近いテージョ川に「発見のモニュメント」があり、ポルトガルの英雄達の像がエンリケ王子を先頭に並んでいます。マゼラン、バスコダガマ、ザビエルなど馴染みの人物像が見られるので、ついつい食いついてしまいます。見とれて川に落ちてしまう人もいるとか。リスボンはポルトガルの最も繁栄した大航海時代を称える建造物で溢れていました。

次の日は、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬へ。ここで今回の旅行で初めて中国人の団体に遭遇しました。彼らはとにかく声が大きい。フォトスポットを占領してどいてくれません。

嘉門達夫の歌にエッフェル塔を旅する大阪の観光客というのがありますが、まるで同じです。昔は日本人もあのようだったと思うと許せる気がします。ユーラシア大陸最西端到達証明書を頂いて、次なるシントラ王宮へ向かいました。ここはポルトガル王家の夏の離宮で、イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」と評したところです。世界遺産です。そう言えば大庭にもエデンがありますね?!

リスボンの町はそれほど大きくはなく、丘と丘の間の窪地のような地形に、アメリカ、イギリス、ロシア、アジアと観光客がひしめき合っているようでした。

陽射しは刺すように強かったので、思わぬ日焼けをしてしまいましたが、日陰に入ると寒いくらいヒンヤリします。日本で蒸し暑さに苦しんでいることを思うと申し訳なく思っていました。

翌日は帰国の途につきます。寝る前にと思い、ホテルの前のスーパーで500ccの水を2本買いました。セルフレジでクレジットカードで支払いました。日本円に換算して何と34円!あり得ない安さでした。

折角買ったこの水は飛行機に乗る前に没収されてしまいましたが・・。

ここでトイレット文化考を一つ。

日本にはウォシュレットという世界に誇る文化があります。どうしてもウォシュレットが必要な筆者は今回携帯用ウォシュレットを持参していました。

ポルトガルのトイレットにはトイレの便器の隣に同じサイズの水道のシンクがあります。当初使い方が分からなかったのですが、ネットで検索。

どうやらウォシュレットに匹敵するものであることが分かりました!

案外清潔好きであることが分かり、ポルトガルに親近感を覚えたところでした。ポルトガルに旅行する際にはウォシュレットは不要です。

リスボン空港から出発する飛行機が遅れ、フランクフルトでのユーロからの出国手続きがグズグズで、例によって?羽田行き飛行機には駆け込みで間に合いました。

羽田空港では、藤沢行きバスを待って立っていただけですが、汗が滴り落ちました。これが日本の夏ですね。

翌日から仕事です!いざ!
 
 
 
 

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