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ゴールデンウィークもあっという間に終わってしまいましたね。

5月は寒暖差が激しく、実は心身ともに不調に陥りやすい月です。皆さん、ご自愛ください。

先日、18~20日に広島で開催された日本耳鼻咽喉科学会に参加してきました。耳鼻科関連の学会は耳から鼻、喉など大小合わせて16以上あり、その中でも最も規模の大きな総会に当たります。

広島は高校の修学旅行以来で、実に数十年ぶりです。

オバマ元アメリカ大統領の訪問と映画「この世界の片隅に」などで注目を集めた広島ですが、実は吉村家にとっても少なからぬ縁がある土地なのです。

夫の実家は祖父の代に千田町というところで、医院を営んでいました。

原子爆弾が投下された朝、義父の妹は通学中に被爆し、命を落としました。

義父自身は何でも家屋の陰で瓦が崩れてきて埋められ、さしたる火傷も負わずに助かったと聞きました。恐ろしいほどの強運の持ち主です。

また、私の実父も当時の広島大学に在学しており、原爆投下の2日前に学徒出陣で熊本に赴き、広島を離れた矢先のできごとだったといいます。こちらも強運の持ち主です。

お陰様で今の我々があるのですから、運命の女神さまに感謝しなければなりません。

学会は主に、平和記念公園の一角にある国際会議場で行われました。

隣接する原爆資料館にも足をはこびました。展示室に入るとまず大きな円形の展示物が目に入ります。

1945年8月6日朝の街並みが飛行機目線で描かれています。どの家も瓦屋根で静かな街並みです。やがて原子爆弾が投下され、落ちていきます。爆発し、眩しいほどの閃光が放たれ、キノコ雲が沸き起こります。後に残ったのは、一面の焼け野原。本当に野焼きをしたかのように何も残っていません、、、。これらのシュミレーションがあまりにもリアルで、まず皆言葉を無くしてしまいます。

人類初の原子爆弾は太田川が分岐する場所にある相生橋を目がけて落とされたと言います。この橋がT字型をしており、目印になりやすかったからだと言われています。実際は少し逸れて、島医院という外科医院の上空600メートルのところで炸裂したそうです。

医療施設が爆心地とは、何てことでしょう。

そばにあった広島県産業奨励館が現在の原爆ドームというわけです。

火傷を負った人々は、熱くて川へ飛び込んだと言います。現在はその川にボートを浮かべて原爆ドームを眺めることができます。しかし、何と罰当たりなことでしょう。合掌!!

当時の人々の苦しみに思いを馳せると何とも物悲しくなってきますが、広島は見事に立ち直っています。山陰や山口、遠くは東京・横浜までをバスで結んでおり、そのバスセンターがそごうデパートの3階に直結しています。広島空港で話しかけられた外人さんが「ソウゴへ行きたい、ソウゴへ」と言っていたのは「そごう」の間違いだったのかあ。済まないことをしたなとチクリと心が痛みます。

帰りは広島から飛行機が取れず、岩国空港から帰ってきました。

岩国への移動の途中、瀬戸内海を眺めることができました。「マダムブリザード」の異名をとる吉村ですが、今回は晴天に恵まれ、良かったです。

20日には外来を開け、診療しましたが、何人かの方々に不在のお叱りを受けました。

この場を借りてお詫び申し上げます。こういうわけだったのです。

 

 

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