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ザルツブルク音楽祭
今年の夏休みは自己都合でお盆を外させてもらいました。
目的は休み中にかねてより夢だったザルツブルク音楽祭に参加することです。
半年前から準備していました。連れは我が妹とその娘(ボストン在住の姪)。
ザルツブルクはオーストリアの首都ウィーンから列車で2時間半ほど西へ向かったところにあります。
モーツァルトが生まれたところで映画サウンドオブミュージックの舞台となったところです。
それでは音楽三昧の旅、始まりです。
8月19日(水)、午前中の外来を済ませて羽田へ。恙なく機中の人となりました。目的地はミュンヘン。姪がボストンより同地に向かい、現地で待ち合わせです。とはいうものの、ミュンヘンと言ってもいささか広うございます。到着後、待ち合わせ場所に向かうため、目指すバスを探すのに一苦労。看板はすべてドイツ語です!出発ギリギリで滑り込み、フッセンというところで、姪と落ち合いました。
ノイシュバンシュタイン城(www.hohenschwangau.de)を観光したかったので、レンタカーを借りて車で移動することになりました。

ドイツの高速道路では、ベンツ、BMW、オペル、フォルクスワーゲン、アウディといわゆる日本で名車と言われた外車が半端ない速度で突っ走っていました。名車はスピード出るんですね。残念ながら日本車は疎らでした。
ノイシュバンシュタイン城はワーグナー(1813~1883)のオペラに心酔したバイエルン国王ルードリッヒⅡ世が築城。極貧の中にいたワーグナーのパトロンとなり多額の金銭をつぎ込み、狂王と呼ばれるほど放蕩の限りを尽くしたといわれています。
ワーグナーに限らず当時の音楽家は教会や皇帝・貴族を対象とする音楽を作り、サロンなどで演奏活動したりオペラを上演したり、時にパトロンを得て、資金援助を受けたりして生計を立てていました。おのずと実権を握っている貴族たちの方向を向いていましたが、時代が市民革命へと動いていく中で、ともすると革命を鼓舞するような音楽も出てきます。市井の人々は音楽に勇気づけられたり、大きな活動の渦をまきおこしていきますが、貴族たちからはそっぽを向けられることもあり資金面で苦労します。その最たるものがモーツァルト(1756~1791)です。政治と音楽は切っても切れない間柄になっていくのです。詳しくは後程。
翌日は、ブレゲンツというところにあるボーデン湖へ向かいます。ボーデン湖に設営された舞台で湖上オペラが催されます。途中、フッセンというところにあるヴェース教会に立ち寄りました。世界遺産です。ここはロマンチック街道沿いのアルプスの麓に位置し、内部はロココ様式の最高峰と言われる身廊と内陣が広がります。「鞭うたれるキリスト像」「イルカに乗った少年」などとそれにまつわる言い伝えが人々の信仰と感動を呼ぶと言われています。信仰のある方からは怒られそうですが、「イルカ」は江の島水族館のイルカのような鼻の長いお顔立ちではなくむしろナマズに似ているような・・・。アルプス山麓に海はなく、当時はナマズをイルカと呼んだのか??不明です。

さて、湖上オペラの演目はヴェルディ(1813~1901)の「椿姫」ですが、今年はヨーロッパも猛暑だったこともあり、また湖のほとりということもあってか演出がプールサイドで大勢が騒いでいるシーンから始まります。しかし8月も下旬ともなりますと山間部のブレゲンツではかなり寒く、しかも当日は小雨交じり。観客はダウンに膝掛といういでたちで観劇しているのです。役者さんたちは裸同然の水着姿で寒中水泳さながらです。椿姫の内容より役者さんたちが心配で劇どころではありませんでした。
先ほど音楽と政治は密接に関係するという話をしましたが、ヴェルディもその意味ではオペラでイタリアを動かした人と思われています。ヴェルディの生まれた19世紀前半、イタリア半島の多くはオーストリア・ハプスブルグ帝国の属国で1861年にイタリアが独立し、イタリア王国が成立するに向かうその時代にヴェルディはイタリア人を励ますかのような存在であったといいます。オペラにはメッセージ性が込められます。「ナブッコ」の第3幕での合唱「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」はイタリア人にとって統一と独立を求める歌になったのだそうです。この歌はイタリアの第二の国歌のように扱われ、ヴェルディの死去した時、葬儀は国葬のように扱われたといいます。
翌日はブレゲンツを後に、ミュンヘンを目指します。レンタカーは既に返却したので、列車で2時間20分の旅です。
車窓の外はまるで北海道の牧草地を走っているようでした。のどかな田園風景から一転、ミュンヘンはやはり都会で途端に興ざめします。
しかしミュンヘンといえばビアホールとサッカーです。ビアホールは人でごった返していましたが、何と国営のビアホールなのです。腕っぷしの強い女性がジョッキを両手にたくさん抱えて運んでいます。真昼間からビールに酔ってしまいました。市場で買い物をしたり、歩き回って疲れたら教会の中に入って休んだりと20,000歩近くを歩き回りました。道案内はグーグルマップです。姪が使いこなし、難なく目的地に連れて行ってくれます。必需品です。その夜は「フランツ・ベッケンバウアー・スーパーカップ」があり、バイエルンミュンヘンとドルトムントが戦います。ミュンヘンで行われることを想定していたのですが、会場はドルトムントでした。しかたがないのでホテルで飲みながらTV観戦です。ついこの間行われたワールドカップでよく見かけた選手たちがゴロゴロでていました。生で見られたら幸せだっただろうな、と思いながら寝落ちしていました。
次の日、いよいよザルツブルクへ向かいます。ミュンヘンから列車で1時間42分。
午前中11時よりウィーンフィルハーモニーとバイオリニストのアウグスト・ハーデリックによるブラームスのバイオリン協奏曲および、ブラームス交響曲第1番の演奏です。
ザルツブルク祝祭大劇場でテレビカメラも入り、とうとう来た!と感激ひとしおでした。

ところが、バイオリン協奏曲第1楽章終焉ごろ、ソリストの聞かせどころに入ってすぐ何とバイオリンの弦が切れてしまいました。よくあることだとは聞いていましたが、実際遭遇したのは初めてで、驚きましたが、聴衆の方々が温かいこと。笑いのうちに拍手。ソリストは指揮者とともに一旦退場します。数分後戻ってきて再開は弦の切れたところからでした。このセッションのハプニングはこれだけではありませんでした。協奏曲が終わり、交響曲に入り第2楽章に差し掛かったころ、会場前列2~3列目がざわついています。なんと、会場で白髪のご老人が意識を失って数人の男性に担ぎ出されるというハプニングが起きました。それでもウィーンフィルの面々は最後まで演奏を続け、感動のフィナーレを迎えました。
ブラームス(1833~1897)はベートーベン(1770~1827)の死後、「誰も神格化されたベートーベンのように曲は作れない」と多くの作曲家が交響曲を書かなくなったその時期に何と20年かけて、第1番を書き上げたと言われています。実際じっくりきいてみると、よく推敲されて無駄がなく、演奏の技法も練りに練って作られているようでした。改めてみなおしてしまいました。更に生の演奏の迫力に感動して祝祭大劇場を後にしました。
その足で、モーツァルトの生家を訪ね、ドナウ河の川下りを予定していました。
水陸両用のボートにのって川から街を一望できるはずでしたが、この夏の熱波で何とドナウ河が干上がり水深が足りません!魚群探知機のようなもので水深を測りながら、浅瀬に乗り上げないように進んでいきます。井之頭公園の手漕ぎボートの方が早い?くらいです。それでも陸上に上がるとサンダーバードよろしく翼を縮めて車輪を出し、一般道路を走れます。少々珍しい形をした車に道行く人々はカメラを向けています。向かった先はサウンドオブミュージックの舞台、トラップ家の館。と言っても遠景で写真をパチリ。周辺はザルツブルクでも高級住宅街にあたる場所でトラップ家の前には湖が広がり、静かな場所でした。こんなところで音楽を聴きながらゆったりすごせたら・・・きっとボケてしまうかも。
その日はそれだけでは終わりません。
夜20:30より祝祭劇場で今度はベルリンフィルのコンサートのはしごです。
演目はエルガー(1857~1934)のエグニマ変奏曲とチャイコフスキー(1840~1893)の交響曲第4番でした。
今回の座席は前から3列目の端っこで、バイオリン演奏者の背中と管楽器奏者をバイオリンの間からみられるくらいでしたが、指揮者の表情がよく見える場所でした。指揮者のキリル・ペトレンコ氏が実に楽しそうに指揮しておられたのが印象的でした。またコンサートマスターは樫本大進さんという日本人の方で、世界最高峰と言われるベルリンフィルでコンマスを2010年から勤めているというのは並大抵のことではないでしょう。尊敬します。
ベルリンフィルというと、かつての指揮者のカラヤン(1908~1989)が有名です。音楽に興味がない方でも名前くらいは聞いたことがあるでしょう。彼は作曲家ではなく指揮者ですが、彼が指揮するというだけでレコードが爆発的に売れたのです。その風貌がいかにも芸術家のそれで、レコード、CDのジャケットにも引き付けられた人が多かったのでしょう。
彼はオーストリア人で第2次大戦中はナチスの党員だったようですが、戦後の処理で国外追放を受け、スイスに亡命。最終的には無罪を勝ち取っていますがすぐに現場復帰とはならなかったようです。
第2次大戦前、大戦中の全体主義の時代、時の政権と音楽家の軋轢は激しく、ドイツ、イタリア、ソ連で多くの音楽家が国を捨て亡命しています。カラヤンもその一人ですが、ナチの党員であったこともあり逆風はきつかったようです。しかし復帰後のカラヤンは破竹の勢いでウィーン、ミラノのオペラ座の芸術監督・音楽監督を務め、「皇帝」と呼ばれるまで上り詰めます。
実はザルツブルク祝祭劇場とベルリンフィルハーモニーホールは彼が建設したものだそうです。また、CDの70分規格もカラヤンによるものだといいます。
さて、朝から2つのセッションをはしごし、ドナウ河の川下り?と盛りだくさんの1日を過ごし、夜は爆睡でした。
翌日姪とはここでお別れです。お婆二人のエスコート、ありがとう!
さあ、ザルツブルクを離れ、ウィーンに向かいます。しかし姪がいなくなった途端、列車の乗り場がわかりません。ようやく見つけてホームに上がると2つ前後に離れて列車が並んでいます。とりあえず前方の列車に飛び乗り、座席を探しますが該当する座席がありません。車掌さんによると、後ろに連結されている車両に我々の座席があるといいます。次の駅で荷物を持って、走って乗り換えろと言われました。後ろの車両だったのか!次の駅まで1時間15分。2時間18分の行程中半分を床に座って耐えました。前方の車両はハンガリーまで行くのでかなり混んでいました。後ろの車両に乗り換えようと思っている人がおおかったようで、次の駅に着くなり多くの人たちが同様に後方車両めがけて走り出しました。出遅れた我々老婆二人。
心臓を爆つかせながら飛び乗りようやく我々の座席にたどり着きますが、あらら、誰か座っている。
予約席であることを訴えて、無事に着席しましたが、久しぶりに走ったせいかやたらとゲップが上がってきます。
「こっちの人は、ゲップ嫌うのよ」と妹に言われますが、出てくるものは仕方ないでしょう!ゲップと戦っている間に、ウィーンに着いてしまいました。
ウィーン市街地は路面電車、バスと地下鉄が充実していて、市内交通の自動販売機でプリペイドカードを購入すると、あとはノーチェック。乗り降り自由でした。しかしどの路線に乗るかはグーグルマップが頼りで、なかなか骨が折れました。
日中はハイリゲシュタットという郊外で「ベートーヴェンの小道」とよばれる散策路を歩きました。交響曲第6番田園の楽想を練ったという小道です。ベートーヴェン博物館にも寄ったのですが、運悪く月曜日で休館日でした。しかしその先のビアレストランの横には第九の楽想を練った部屋があり、ベートーヴェンに思いを寄せながらそのビアレストランで喉を潤しました。
ハイリゲシュタットはベートーヴェン(1770~1827)が完全に聴覚を失い、絶望し弟に対して遺書をしたためた所として世界的に知られるようになったと言います。しかしその後もベートーヴェンは聴覚を失いながらも数々の傑作を残しています。その軌跡はナポレオンの栄光とリンクしています。交響曲第3番英雄はナポレオンに捧げるつもりで作り、当初の副題は「ボナパルト」だったそうですが、ナポレオンが共和制を裏切って皇帝に即位したことに失望し、「英雄」に変えたという逸話は有名です。しかし実はナポレオンに音楽を顧みる力量がなく、そうこうしている間にナポレオンが失脚し献呈のタイミングを逸してしまったのが本当のところではないかと近年言われています。
しかし、心が折れそうなとき辛いときは何といってもベートーヴェンの曲が一番です。不思議と癒されます。ベートーベン自身が、苦しみをよくわかっているからなのではないでしょうか。
さて、その夜は聖ベーター教会でミニコンサートです。
ウィーンでは連日どこかで音楽のコンサートが行われています。教会の礼拝堂の天井高で音響効果のすばらしいこと。弦楽四重奏の室内楽団でしたが、オーケストラなど多人数で合奏するときには楽譜通りに奏でることが優先されますが、室内楽で各パートが一人ずつの場合、即興演奏を入れたり自由に奏でられるようで、奏者が楽しそうでした。20年ほど前のアニメ「のだめカンタービレ」ののだめちゃんを思い出し、こちらも楽しくなってしまいました。
翌日はいよいよ最終日。
旧市街地でお土産を物色しながらの散策です。
お土産は、モーツァルトとエリザベート(愛称シシィ)の絵入りの物ばかりです。二人とも人気者なのですが、いささか異なる逸話があります。
モーツァルトは天才音楽少年としてザルツブルクで生まれウィーンの宮殿に招かれました。ハプスブルク家のマリア・テレジアに呼ばれて宮殿で演奏。幼いマリー・アントワネットに求婚したりと一緒に遊んでいたそうです。モーツァルトの運気はオペラ「フィガロの結婚」を上演した時から転落していきました。「フィガロの結婚」では召使のフィガロと主人の貴族が同じ女性を巡って争い、フィガロが女性を勝ち取ってしまうというストーリーですが、平民が貴族に勝ってしまうという結末は当時盛り上がってきた市民革命の機運を助長し、ひいてはフランス革命へと繋がったと思わせてしまいました。ウィーンでは貴族にそっぽをむかれ、「フィガロの結婚」の上演は大変不評でしたし、モーツァルトへの作曲の注文がほとんどなくなってしまったと言います。
その後、チェコのプラハで依頼があり「魔笛」を上演し大好評をえますが、魔笛は正式なオペラではなく、ジングシュピーゲルという歌芝居という扱いでした。ウィーンで上演しますがやはり好評をえることはできませんでした。
ウィーンからは完全にそっぽを向かれたということです。モーツァルトはその後「レクイエム」を残して間もなくこの世を去ります。
一方エリザベート(シシィ)は1837年バイエルン国王の孫として生まれ、ハプスブルグ家の皇帝ヨーゼフⅠ世に嫁ぎますが、格式ばった生活に耐えきれずウィーンから離れ、一生涯旅をして暮らします。スイスのジュネーブで暴漢に刺され命を落としていますが、服装のコルセットがきつく絞られていたせいでおびただしい出血量であったと言います。
翻って、現在のウィーンの土産物屋には、ウィーンが嫌ったモーツァルトとウィーンを嫌ったエリザベートの肖像であふれているのです。何とも皮肉なものです。
もう一つ、あきれたことに海のないウィーンで水族館に行ってきました。目的はその建物の11階のレストランで夕食を食べることだったのですが。
敷地のないウィーンでは水族館は縦に長く10階建てです。江ノ島水族館のようなイルカショーはありません。ニシキヘビやコモドドラゴンの赤ちゃんなど爬虫類系が多く、閉口しました。シニアで東洋人の観覧者は我々だけで珍しがられました。そりゃそうだわ。
さて、夜はウィーン国立歌劇場でそのモーツァルトの曲を集めたコンサートがあるとのことで、チケットを購入しました。運よくボックス席に入ることができ、いつもYOU TUBUでみるニューイヤーコンサートの気分を少々味わうことができました。

その直前、近くのザッハトルテのお店に立ち寄り、妹の数十年来の夢であった「ウィーンでザッハトルテ」をかなえました。その時隣の席でザッハトルテを夢中で写メしていた赤いドレスの女性が歌劇場の最前列に座っているのが見えました。彼女はコンサート中、男性歌手に手を握られたり、指揮者から指揮棒をプレゼントされたりと視聴者参加型の舞台演出に大いに貢献していました。パートナーの男性からはあきれられていたようですが。

今回の旅行の予定をほぼ完遂し、翌日早朝にホテルを後にしてウィーン空港へ向かいました。
ウィーンからは成田へ直行便がでているのですが、羽田へ降りたくてミュンヘン経由で帰ることにしていました。
しかしミュンヘン空港での乗り継ぎでまたしても、命が縮んでしまいました。「また」というのは、かつて学会でフランスに行った時もポルトガルへ行った時にも目的の飛行機にすんなりと乗れたことがないからです。(ひまわり日誌参照)
ウィーン空港では早く着きすぎて荷物を預けたのはほぼ最初だったのでしょう。ミュンヘン空港でターンテーブルに荷物がなかなか出てきません。これ以上待つと出国手続きに時間がかかるので飛行機に乗れないぞ、というその矢先、ようやく荷物が出てきました。荷物をかかえて搭乗口へ。荷物を預けるのに最近は自分でやらねばなりませんが、見かねて空港職員が手伝ってくれました。身体チェック、機内持ち込み荷物チェックを通過して、出国手続きへ走ります。
出国手続きはEUとnon-EUで列がちがいます。non-EUは長蛇の列。FAST-LINEに我々の乗る便名が書かれておりそちらへ並びます。それでも20分ほど待ち、税関のお兄さんに「何時の便?」と尋ねられ「12時半」と答え、「どこのエリアから?」「L」と答えると「早く行け」と促される始末です。まだ30分あるのに、とLを探すと、何と地下深く誘導され、シャトル電車で移動することに・・・。結局飛行機の搭乗口に着いたのは出発定刻の15分前。我々はLAST personでした。
あまりにもたくさんのイベントを盛り込み、交通機関でのトラブルが多く(すべてギリギリセーフでしたが)、ドタバタの旅でしたが、海外へ行くたびに日本の良さを痛感します。ウォシュレットの完備、水が柔らかい、電車の時刻が正確、誰にでも親切、文化的に面白い、そして食事が美味しいとくれば、そりゃあインバウンドもリピーターも増えるはずです。我々はもっと日本を誇ってもいいと思います。
しかし、古代ギリシャから始まったムーシケーが古代ローマでムージカになり、我々の親しんでいるミュージックへ繋がっていく過程で、教会や皇帝・貴族から歌によって始まった音楽が市井の人々にまで広がっていくには長い時間がかかっています。時間という土台があり、地域・民族による考え方が加わり多様な音楽が育まれる素養がヨーロッパにはあるようです。日本では伝統芸能の保護もままならない状況で、後継者不足からアーカイブス化してデジタルで残そうという人もいるそうです。
先ごろ国立博物館が維持費不足のためクラウドファンディングで募金を募ったという話がありましたが、国が文化・芸術にもう少し資金を投入するべきです。ウィーン国立歌劇場の楽団員は皆公務員だそうです。それに加えてウィーンフィルハーモニー管弦楽団を自主運営し利益を楽団員に還元しています。音楽で食べていけるのです。ならばと楽団員を目指す人が増えます。レベルがあがり世界中からオファーが入ります。ますます収益が上がります。
芸術はジャンルを問わず生がいいです。デジタルで見ても感動は半減です。
感動こそがAIにできない人間だけの特権です。
時の政権よ!文化・芸術に理解を!








よしむら耳鼻咽喉科・内科・呼吸器内科